こだわりのロングセラーNo11

 ボンカレー



今、流行りのTV番組「トレビアの泉」流にいえば、
“日本におけるカレーの消費量はインドに次いで世界第二位である”
へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜、、、「87へぇ〜」ということになり、
インド人もびっくり!なのである。
そういう、はすぴー君もカレーライスはガキの頃からの好物で今でも週に一度くらいの
割合で食べている。(
ハヤシも食うでぇよぉ〜
カレーといえば、
「少年ジェット」ヱスビー食品の提供で、CMの中では少年ジェット
は相棒犬のシェーンを使い走りとしてヱスビーカレーを買いに行かせていた。
いとし・こいしの
「がっちり買いまショウ」オリエンタルカレーがスポンサーだった。
カレーの単価がわかっているので、オリエンタルカレー10個で買い物の値段を微調整
するのが常だった。この番組はのちにスポンサーがグリコに変わるのだけど、今度は
グリコワンタッチカレー10個で微調整することになる(笑)。
カレーのCMで印象的なのは、「リンゴとハチミツ」の
ハウスバーモンドカレーだよぉ〜
その美味さに
「ヒデキ感激!」
「おせちも いいけどカレーもね♪」
はキャンディーズのククレカレー
いまいち、印象は少ないが、ジャワカレーは千葉真一と野際陽子が夫婦で出てた。
しかし、なんといってもカレーといえば、
ボンカレーだ。
ボンカレーを知らない日本人の数は概ね、パプアニューギニアの人口に等しいと
平成14年度 総務省統計局「国勢調査の人口状況」に掲載されていた
(ウソピョーン)

さて、本題に戻り、ボンカレーは はすぴーが小学生の時には既に存在していたので
少なくとも当コーナーが定義する30年以上のロングセラーに該当すると思われるので
調査を進めることにしよう。

      

調査して最初に驚いたのは、このボンカレーは
世界初のレトルト食品ということが
わかった。そもそも
レトルトとは「高温殺菌釜」のことで、NASA(アメリカ航空宇宙局)
が宇宙食としてレトルトパックの技術を研究していたのだ。
昭和39年、当時大塚化学の社長だった大塚正士
(まさひと)さんはカレー粉の製造
会社を引き継ぐことになり、カレー粉の業界は競争が激しく、他社と同じものを作って
も勝ち目がないので、何か他と違ったものを作ろうと動き出した。そこで目をつけた
のが、NASAが研究していたレトルトパック。缶詰に代わる保存食としてカレーを
袋詰めにするという画期的な商品を作ることが目的であった。幸い大塚グループには
点滴液を製造する医療部門があったため、液体をパックに詰める技術や殺菌する技術を
持っていた。
(ふむふむ考えてみれば、点滴の容器とレトルトパックは似ているぞ)
試作を繰り返し、そして商品化の目途がたったのは開発から2年後の
昭和43(1968)年
この年の2月に「ボンカレー」としてまずは
近畿圏限定ながら1個80円で発売を開始した。

商品名の「ボンカレー」はフランス語のBON(良い、おいしい)と英語のCURRY
(カレー)を合体させたものだ。商品のネーミングを決める際にひとり暮らしの
未婚男性(チョンガー)でも温めるだけで簡単に食べられるという理由から、なんと
「チョンガー・カレー」という案もあったらしいが採用されないで正解だったと思う。

そしてボンカレーといえば、
松山容子さんだ。当時の人気女優松山さんの着物姿で
ニッコリ微笑む笑顔がいかにも日本の優しいお母さんという感じがするではないか。
カレーのパッケージはもとより、当時は町の食料品店や雑貨屋さんでこのニッコリ松山
さんの看板をよく見かけたものだ。

      
初期                 中期               後期

さて、このホーロー看板の初期のもののレトルトパックをよーく見て欲しい。
何っ!小さくてよく見えんだと。。。うーむ、ならばズームイン。

      

ほらね、器がドンブリでしょ(笑) ちゃうちゃう、、、よく見て欲しいのは包装部分。
今のアルミ製とは違って
透明パックになっているでしょ。
そうなのです、発売当初のボンカレーは透明パウチ包装だったのです。
実はこの透明パックには、様々な問題があったらしい。第1号製品100袋を大阪本社に
トラックで運んだところ、落下や振動に弱く半数が破損。密封性が不完全なため袋の中で
微生物が繁殖し、ガスが発生するという欠陥も見つかった。本当の話なのだが、
ガスによって突然「ポン!」と音を立てて袋が破裂したりしたらしい。さらには
夜中になるとボンカレーがひとりで歩き出す、、、というウワサも流れ、返品の山になった。

そこで大塚化学では
「恐怖の歩くボンカレー」と改名して、、、ウソウソ、パウチ包装を
改良し、現在の
アルミパウチに変更したというわけだ。三層構造のアルミ製パックは
ガス透過性、遮光性にも優れ、流通過程での破損の心配もなくなった。さらに製品の
日持ちも3カ月から2年と長くなった。そしてこれを機に近畿地区限定から一気に
全国展開を開始し、食の世界に新しいスタンダードを生み出したということだ。

話をニッコリ看板に戻そう。。。その後、ボンカレーのホーロー看板はペタペタと貼られ、
なんと全国で
9万5千枚のニッコリ松山さんが取り付けられたそうだ。当時の大塚食品
の営業マンには
1日15枚のノルマがあったというから泣けてくる。どうりで今でも地方
の田舎に行くと古い店先やバス停などで見かけるわけだ。
ボンカレーのCMで思い出すのは、笑福亭仁鶴さんが出演した「子連れ狼」のパロディだ。
♪しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん
「ダイゴロ〜、3分間待つのだぞ」「ちゃん!」
このCMでボンカレーを温めるには3分間を要するということを理解する。
(カップヌードルを作るのと同じ時間かかるちゅーことなのね)


マニアックなネタになってしまうが、日本テレビ系日曜夜7時(かつては土曜夜7時)と
いうのは昔から大塚製薬をはじめとする大塚グループ提供の番組が放送されていた。
現在だと TOKIOが出演している『ザ!鉄腕!DASH!!』であるが、その昔を振り返えれば
『黄金バット』『妖怪人間ベム』『巨人の星』『アタックNo.1』『天才バカボン』などの
番組が放映されていた。『巨人の星』で『オロナミンC』のCMが流れていたことは
はすぴー世代のオジサンなら記憶にあるはずだ。
今でも
読売ジャイアンツの選手がオロナミンCのCMに登場しているが、かつて王貞治
選手
(現在福岡ダイエー監督)がボンカレーのCMに出ていたことはあまり知られていない。
(ボンカレーはカレーのホームラン王です、、、といっていなかったのが残念・・・笑)
ボンカレーのCMに
松本伊代もでていたみたいだ。♪伊代はまだ16だからぁ〜の頃でしょうか。

     

さらに驚くべきこととして、『アタックNo.1』の中では鮎原こずえや早川みどりがバレー
部の合宿でカレーを食べるシーンがあり、
「うわー♪今日の昼食はボンカレーよ!」
喜ぶ場面がある。いくらスポンサーが大塚食品だからといって、アニメの中で主人公に
「うわー♪今日の昼食はボンカレーよ!」と商品名を入れさせていいんかっ!!という
疑問もあるが、ボンカレーも鮎原こずえも私も好きなので許してあげよう。
以上のような背景を納得した上で、改めて調べて見ると、昭和36〜37年に日本テレビ系
番組の同じ時間帯で
「琴姫七変化」という大塚製薬グループ提供の人気時代劇番組がある
ことがわかった。そう、この琴姫様を扮しているのが
松山容子さんというわけです。
「琴姫七変化」で人気が出たので、めでたくボンカレーのCMキャラクターとして採用
されたと考えれば納得できるではないか。へぇ〜へぇ〜へぇ〜へぇ〜「83へぇ〜」
(ちなみに松山さんは 1970年に結婚のため引退された)

       


話の脱線ついでに個人的な想い出話をすると、はすぴーが小学校の時に給食室の工事
とかで給食がなくなって家から弁当を持参する時があった。田口君は食パンとマヨネーズ
だけを持ってくる変なやつだったが、その日の彼はなにやら袋のようにものをだるまストーブ
の上でチンチンいっているデカイやかんに放り込んだ。それが当時、発売され
たばかりのボンカレーでクラスのみんなが珍しそうに眺めていたことがあった。
(今では当たり前のレトロトカレーも当時は本当に画期的な食べ物だった)
以来、クラス中でボンカレーが瞬く間に流行るようになり、教室全体がカレーの臭いで
充満することになった。当時、
年間1億食を売り上げる大ヒット商品というから教室も
カレー臭くなるはずだ。

閑話休題 ボンカレーは
昭和53(1978)年ライト感覚の「ボンカレーゴールド」
登場し、パッケージのデザインもニッコリ松山さんから太陽のコロナみたいなものに
変更された。また中身の方も消費者の嗜好の変化に合わせて、カレーの色はより明るい
黄色になり、とろみも少なくなった。

   
   
              沖縄でよく見かけたニッコリ松山さん

「ボンカレーゴールド」の登場によって東京ではしばらく目にすることがなくなった
ニッコリ松山さん版だが、西日本限定では販売されていたようだ。特に
沖縄ではこれが
好まれていたようで、スーパーではボンカレーゴールドより多く陳列されていたという。
それを見た本土の人が懐かしがって買って行くようになり、
沖縄土産として定着してし
まったというから笑ってしまう。はすぴーも先週、沖縄に家族旅行をしたばかりなので
あるが、那覇市の国際通りにある土産屋に入ると松山容子さんがニッコリしていた。

そうそう、2000年の夏
(8月22日〜10月2日)には期間限定ということで、ファミリー
マート
から「ボンカレーパン」なんていう菓子パンが登場した。『あまくち』『ちゅうから』
『からくち』の3種類。ニッコリ松山さんが妙に懐かしくて購入してしまったオジサン
たちも多いはずだ。これがなかなかの好評だったらしく、翌年の2001年にはまたまた
期間限定
(7月17日〜9月10日)で発売され、今度は『げきから』も追加された。
(本家のボンカレーにはこれほど種類はなかったと思うが、、、)
ちなみにファミリーマートは「ボンカレーパン」の成功からペコちゃんでおなじみの
“ミルキー”を菓子パンにリメイクした
『ミルキーパン』を期間限定で発売している。
こうなると次を期待したくなるぞ。。。

    


今回の調査は話があっちゃこっちゃ行ってしまい、とりとめがなくなってしまったが
ボンカレーは基本的には昔の味を守りながらも、時代とともに移り変わる消費者の好み
に合わせて、若干の変更やバリエーションの追加を行なってきた商品だ。電子レンジの
普及でダイゴローのように3分間待たなくとも手軽で、いつでもおいしく食べられる
ボンカレーは、家庭ではもちろん
キャンプなどのアウトドアでの食事の際にも欠かせ
ない食品といえよう。
(我が家のキャンプではメインディッシュとも言われている)
発売当時は80円であり、現在は160円だから
ちょうど2倍ということになるが、まっ、
リーゾナボーな価格であろう。前述ではニッコリ松山さん版は沖縄の土産物と書いたが、
最近、東京でもレトロブームにあやかり、ローソンなどで見かけることがある。
いつまでも優しく微笑むニッコリ松山容子さんのパッケージとともに、昔懐かしい味が
再び好まれつつあるのかも知れない。ちなみにボンカレーは発売から35年間で
なんと!!
20億食以上が売れている超ロングセラーなのである。
(そのうちの70食くらいは私が寄与しております・・・汗)


          
最近のボンカレーシリーズ


     .
ボンカレーの自販機まであったりしますぅ〜・・・(笑)

大塚食品 株式会社のホームページ

(原稿:2003.8.12)


 進化するボンカレー(2003.8.22) ホットニュース

このページを作った日から10日後、大塚食品のニュースが新聞に掲載されていた。
前述のようにダイゴローに「3分間待つのだぞ」と言っていたボンカレーは進化し、
新商品は
2分間、電子レンジに箱ごと温めればよいというスグレモノだ。
35年ぶりの前面刷新とあるが、沖縄地区だけは松山容子さん版を残すらしい。


大塚食品ニュースリリース


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2005.8.26

37年ぶりにパッケージの顔が松山容子さんから松坂慶子さんに変更

大塚食品のニュースリリースより


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