こだわりのロングセラーNo.6

『養命酒』

「こだわりのロングセラー」のコーナーでは、はすぴーがガキの頃

から存在していて、今なお健在である商品、すなわち30年以上売られ

続けているものをロングセラーと定義しているのだが、今回調査した

『養命酒』は400年も前からあるというので、ぶったまげてしまった。

しかも薬酒業界での日本でのシェアは90%でほぼ独占状態であり、薬酒

の本場、中国でも養命酒は高級薬酒として名前が通っているらしい。

 

養命酒製造株式会社のHPを拝見して、驚いてしまったのは、養命酒と

みりんを販売しているだけで約180億円の売上高を計上しており、

東証1部市場にも株式上場しているほどの大企業なのだ。

(知らないとは言え、失礼しました <(_ _)>)

 

HPには養命酒の歴史も詳細に記載されているので、参考とさせていただいた。

養命酒の歴史はとんでもなく古い。関ヶ原の戦いの2年後、つまり1602年には

すでに信州地方でつくられていたというから驚きだ。

塩沢宗閑という人物が、行き倒れていた老人を助けたところ、その老人から

秘伝を授けられたという。(行き倒れになるんだったら、なぜ養命酒を飲まんのだ!!)

塩沢はさっそく教えられたとおりの薬草を集めて薬酒をつくり、これを『養命酒』と名づけた。

 

そして翌年、江戸幕府が成立すると、徳川家康に献上して、後に幕府から

「天下御免万病養命酒」と製造の免許をうけた。

その象徴として、”飛龍”を目印として使用することを許された。

以来、この飛龍が養命酒のトレードマークとなり、日本では最も古い

商標の一つといわれている。

養命酒の評判は、まず信州で高まりはじめ、しだいに江戸にも伝わって、約

100年後には赤穂浪士も養命酒を飲んでいたという記録も残っているらしい。

塩沢家に残る古文書によると、当時の尾張藩主が養命酒の製法や内容について

たずねたという史実があり、その古文書によると、養命酒はできあがるまでに

2300日も要すること、またその製法は、一子相伝の秘法であったことなど

が記されていたようだ。(うーむ、北斗神拳のようだぞ←知らないか)

 

その後、明治維新が起こり、交通通信手段が発達すると、養命酒の名前はいよ

いよ全国でも知られるようになっていた。「信州で300年以上も飲ま続け、たく

さんの人々から喜ばれている養命酒の効用を全国の一人でも多くの人に届けたい」

との動機から、1923(大正12)年に会社が組織され、塩沢家が家業として行ってきた

養命酒の事業を受け継いだのが、現在の養命酒製造株式会社の始まりというわけだ。

 

現在の養命酒は、14種類の生薬をみりんを中心とした原酒につけ、約2ケ月間

熟成させて造っている。この製法は時代によってアレンジされているようだが、

基本のところは400年前とあまり変わっていないらしい。

さて、なぜ養命酒はこれだけ長く愛され、売れつづけてきたのだろうか?

養命酒製造のHPにそのヒントとなるメッセージが記載されていたので、

一部、転記させていただくと、、、

 

いつの時代においても薬酒としての本質を守り、医薬品の領域に独自の分野を

確立するとともに、生活の中に「薬酒を飲む」習慣を築いてきました。

 

養命酒の事業を通じて流れている精神は、この「人々の健康生活に貢献しよう」とする

サービス理念であり、当社の経営も、この理念を根本においてなされています。

この奉仕の精神を現実に生かすために、当社は、企業活動のすべての面に

おいてその成果を挙げられるよう努力を続けていますが、中でも最も大切と

考えているのが、養命酒の本質の維持と品質の向上です。

健康は、だれもが願う幸せであり、何にもかえがたい幸せです。

私たちは、養命酒を通じて、この幸せな健康生活のお手伝いができること

を誇りに思うと同時に、多くのご愛用者のご期待とご信頼に対して、最大限

添うことができるよう努めていきたいと考えています。

 

、、、また、将来にわたって、薬酒がより多くの人々の支持を得ていくには、

科学との結合が必要です。薬酒は人々の知恵と体験の中から生まれ、長い

年月と多くの人々の実際の体験によって有用性が裏付けられてきたものです。

私たちは、経験的所産であるこの薬酒に現代科学の光を当て、時代の要求に

応えていくことが大切であると考えています。

 

養命酒は宣伝も地味であるし、効能からしても「胃腸虚弱、食欲不振、肉体疲労、

虚弱体質、滋養強壮」と、なんとなく”地味ぃ〜”という感じだ。

「養命酒D、ファイトぉぉ〜1発っ!」とか、派手なCMではなく、

「朝晩1杯、養命酒」という程度のものだった。また人気女優をつかって

「養命酒のむか?藤原紀香」というコマーシャルもなかった。

要するに派手な宣伝をしたり、特効薬として売らなかったからこそ、超ロング

セラーになったのかも知れない。健康ものの世界には、紅茶きのこを筆頭に

大ブームを呼んだものほど、すぐに消えてしまった商品が多いように思う。

だからこそ、養命酒はじわじわと”地味ぃ〜”に効くことを地道に訴え、それに

よって成功しているのではないだろうか。

 

現在、養命酒の愛好者の性別では、男性と女性の比率が半々で、

男性は60歳を中心に80歳くらいまで、女性は50歳を中心に

20代から80代と幅が広い。今後、ますます進行していく

高年齢社会とともに、この商品は売れ行きを伸ばしていく可能性がある

おそるべきロングセラーと言ってよいのではないだろうか。

現在のボトルデザインは昭和5年から変わっていない

薬局だけでなく、酒屋でも販売している

アルコール分は14度と比較的高い


ところで、はすぴーもこの養命酒はガキの頃に飲んでいた。もともとは、母親が

食欲不振から飲み始めたらしいが、「このお酒は少しだけなら子どもでも飲んで

いいものだ」と父が言い出した。今でも同じなのだろうか、養命酒には専用の

キャップ(プラスチックでできた透明の小さな容器)がついてあり、それに目安と

なるメモリが書いてあった。父親は子ども用の分量をキャップに注いでくれた。

その液体は茶色で、薬の香りがしたが嫌な臭いではなかった。

おそるおそる舐めてみると、意外とシロップのように甘く、ちょっと

後味が苦い感じだった。たぶんはじめて口にしたアルコールだったかもしれない。

体がホカホカと温かくなっていくようだった。

ちょうどその頃は冬だったので、朝、小学校に行く前に養命酒を飲んで、

体を中から温かくして登校したことを覚えている。

(なんかアル中のおやじみたいだにゃ〜)

 

その後、しばらく養命酒というものを口にすることはなかったが、何年か前に

カミさんが3番目のチビを出産し、しばらく貧血気味の時があった。

カミさんは友人から、出産後には養命酒が体に良いと聞いて、さっそく試した

ことがある。しかし、カミさんはまったくの下戸で体質的にアルコールを受けつ

けないらしく、養命酒を飲んでますます気持ち悪くなったといい、最初の2〜3

杯を試飲しただけで、やめてしまった。もったいので、残りははすぴーが頂戴した

のだが、俺は体質的にアルコールを受けつけやすいらしく、キャップ1杯では

ますますアルコールが欲しくなってしまい、朝から焼酎に手を出すこともたまに

あった。おそるべきロングセラーと言ってよいのではないだろうか。

(同じコメントで結ぶことにしよう)

 

養命酒製造株式会社のホームページ

(原稿:2001.11.4)

 

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