テレビの想い出【カラーテレビ/リモコン編】

昭35/松下/カラーテレビ

K21-10(21インチ)/520,000円

 

前回のエッセイでは「白黒テレビの想い出」をつれづれなるままに書いてみたが

今回は予告とおりPartUとして「カラーテレビとリモコン」について思い出してみよう。

 

カラーテレビの放映は昭和35年(1960)であり、その普及率は、昭和45年7.1%から、

昭和50年73.1%と短期間に爆発的に広まった。「秋葉原の歴史」より

だから庶民の家庭に入ってきたのは、昭和40年代の後半だったと言える。

 

まず新聞のテレビ欄に「カラー」という文字を見た時に、母にこれはどういう意味なのか

聞いて、’うーむ、世の中に色のついたテレビ(番組)があるのか’、、、と思ったもんだ。

次第にこの「カラー」という文字が増えてくるようになって、カラーテレビのCMも

盛んにやっていた。 

はすぴーがカラーテレビというものをまじまじ見たのは、小学4年生の時の夏休みで、

父の実家でデッカイ観音開きのテレビがそれだった。

記憶が間違っているかもしれないが、「巨人の星」「ジャングル大帝」をそのカラーテレビで

見たと思う。「巨人の星」は画面の右下にボールのマークがあり、その中央に「カラー」と

書いてあったし、「ジャングル大帝」も画面の隅っこに四角く「カラー」と書いた文字が

偉そうだったなぁ〜。

 

我が家にカラーテレビがやってきたのは、それからまもない頃だった。

今日はカラーテレビの来る日だという理由で、学校の授業が終わるやいなやマッハ15の

スピードでスキップしながら帰宅した。

はすぴーが家に帰ると「ぱんぱかぱーん」とうしろにオーラを輝かせてカラーテレビが

据え付けられていた。「おっ、おうぅぅ、、、」思わずため息が出るくらいすばらしいものに

思えた。白黒テレビに比べて「ツマミ」の数が多いのもハイテクな雰囲気を醸し出していた。

ちなみにあこがれのカラーテレビとクーラーに、自動車(CAR)を加え、「新三種の神器」

「3C」という言い方を当時はした。

※「三種の神器」とは1956年ごろに白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫のことをいった。

 

 

テレビをつけると、ドギツイ色の画面が現れた。人の顔色が赤いのだ。そして青色、黄色も

やたらと鮮やかすぎるというかドギツイのだ。母に聞いたら色の調整はまだしていないのだと

言う。調整ツマミを回して、人の顔色が「肌色」になったところにセットするように電気屋さん

が言い残して去っていったと言う。(そんなこと、電気屋でやって欲しいぞ)

人の顔色が「肌色」になるように上下に動く2本のレバーを動かしたが、結構難しい。

上に上げすぎると顔色が「泣いた赤鬼」になってしまうし、下に下げすぎると「デスラー総統」に

なってしまうのだ(これはジョーク:宇宙戦艦ヤマトはもっとずーーと後)

 

カラーテレビが普及するようになって、テレビ番組の方もカラーを意識したものが放映される

ようになった。「仮面の忍者赤影」は、カラー放送を意識したために「赤影」「青影」「白影」と

色を強調したキャラクター名になったというし、「スーパージェッター」は前半は白黒放映で

後半はカラーにした。みんな「そうか、ジェッターのスーツの色は白じゃなくて黄色だったのか」

と感心したもんだ。「サイボーグ009」の主題歌も堂々と「♪赤いマフラーなびかせて〜」と

歌っていた。白黒テレビだったら、「♪やや黒いマフラーなびかせて〜」となってしまう。。。(汗)

 

このように番組もカラーを意識するようになったのは、事実だろう。

時代は違うが、「ゴーレンジャー」はカラーテレビ時代だから「ゴーレンジャー」なので

あって、白黒時代には存在しないキャラなのだ。

レッド行くぜぃ〜、了解、ブルー。危ないピンク、助けてグリーンイエローも行くぜ・・・と

いうカッチョいい会話が成り立つのはカラー時代であって、白黒だとそうはいかない。

ホワイト、ブラック、グレー、俺たちゃお間抜け3人トリオ・・・になってしまいそう。

「ゴーレンジャー」じゃなくて、「サンレンジャー」になってしまうからね。(笑)

 

昭43.10 ソニー/カラーテレビ/

KV 1310/トリニトロン1号機

(世界初オールトランジスタカラーテレビ)

さて、次に「リモコン」に話題を変えよう。

今でこそ、家電のリモコンは当り前に存在していて、ちなみに我が家のリモコンの数を調べてみたら

・テレビ×2

・オーディオ

・MDコンポ

・エアコン×3

・ビデオデッキ

・自動車のキーロック

うわっ、9個もあるぞぉぉぉ。。。他にもカーテン、照明機器、車のエンジンなんてリモコンで

動かしているご家庭もあるようだ。ビデオの早送りをしようとリモコンで操作したら部屋の

カーテンが動き出したなんていう笑い話もあるくらい何が何だかわからなくなってしまっている。

 

家電の中で最初にリモコンが登場したのはテレビ用だった。冬に家族でコタツに入っている時に

誰がチャンネルを変えに行くか真剣にジャンケンをしていた時代だ。

はすぴーが最初にテレビのリモコンというものを見たのは電気屋だった。手元のボタンを押す

だけでチャンネルが変わることは画期的なニュースだった。

「ラジコンカーとトランシーバー」「光線銃SP」のところでも書いたように無線というもの

に一種の憧れを抱いてしまうのは、鉄人28号を見て育ったはすぴー世代の悲しい性なのかも

知れない。。。

 

さて、そんなに便利でカッチョいいリモコンであったが、初期の頃って今にして思うとオマヌケ

なところもあるので、それらについて紹介してみよう。

 

【オマヌケその1】

現在のテレビは、たとえば8チャンネルの状態で電源を落としてまたスイッチを入れると

8チャンネルになるけど、初期のやつってなぜか1チャンネルに戻ってしまうのだ

これはリモコンの初期設定の影響らしい。

リモコンの精度も良くなくて、一発撃ってもチャンネルが動いてくれないことがよくあった。

ひどいときは四,五発撃たないと動いてくれず、動いたとしても目的のチャンネルにピタリと

合って止まってくれない時があり、わざわざ立って合わせに行く…という面倒な思いをした。

(何のためのリコモンなんじゃい)

 

 

【オマヌケその2】

当時のリコモンは貴重な存在だったのか、テレビのチャンネルの下や横にリモコンをしまっておく

格納ケースがあって、ボタンを押すとポンと飛び出るタイプのリモコンがあった。

だからチャンネルを変えるにはまずリモコンを取るためにテレビの前まで行かなければならないのだ。

(何のためのリコモンなんじゃい)

 

 

【オマヌケその3】

リモコンと同時にチャンネルはダイヤル式からボタン式になったのだが、それでも「回すチャンネル」

にこだわる人が多いのか、リモコンにもかかわらず、回転式でチャンネルのツマミが動くもの

あった。リモコンでダイヤル式のチャンネルがガチャガチャとモーターで動くのだ。

しかも一方にしか回転しないので、12チャンネルから1チャンネルに移動するにのガチャガチャと

マヌケな音をたてながら時間がかかってしまうのだ。

(何のためのリコモンなんじゃい)

 

 

【オマヌケその4】

これは信じられないかも知れないが、今のリモコンは赤外線で感知させるのだが、当時のやつは

超音波だったので、金属の音で反応してしまうのだ。

たとえば10円玉硬貨を10枚くらい持ってテレビの前でガチャガチャやったらチャンネルが

変わったという話がある。

そして懐古掲示板にこんな投稿もあった。

 銀歯の人がTVの前でくしゃみをするとチャンネルが反応したと言うので

 私は銀歯ではなかったのですが実験してみました。

 上の歯を舌で抑えて息を吸い込んでスースー音を立てただけでチャンネルが

 切り替りました。(breedenさん)

(何のためのリコモンなんじゃい)

 

、、、とまぁ、今にして思えば何とも人間的というかオマヌケな感じなのだが、はすぴー世代の

方にとっては懐かしい気持ちで微笑んでくれるのではなかろうか。

 

 

ところで、テレビはこの40年間に様々な変遷をたどってきている。

まず技術の進歩に伴って画面は角の丸みが取れ(直角に近くなる)、画面も大きくなり、奥行きが

小さくなり、フラットになり、現在では「液晶式の超うす型」のものさえ登場している。

昭和のあの頃、はすぴーの家は狭かったので父が30年前によく言っていたことがある。

「テレビなんざ、薄くなって壁掛けにならないのかい」と。

最近になってようやくそれが実現している。

シャープの液晶テレビ。。。。吉永小百合がCMしているやつだ。

これで父も天国できっと喜んでいることだろう、、、ってまだ死んでいない。(^^ゞ

 

そして音声のステレオ化、二カ国語放送も画期的で、セサミストリートが日本語で聞けるよう

になった。(それまでは英語オンリー)

また今から15年くらい前には、文字放送と言うのもあったなぁ。

今のFM文字多重放送(見えるラジオ)のテレビ版のようなものだったが、あまり普及しなかった。 

さらにハイビジョンが出てからはワイドテレビなどと言うものが登場し、映画を見ているような

感覚になる。そしてインターネットTVの登場でテレビとパソコンが融合したし、ケーブルTV

至っては世界中の何十ものチャンネルの選択が可能になった。双方向型のテレビではリアルタイムに

テレビショッピングも出来たりして、実験中のものでは立体画像のテレビ、香りのでるテレビなどと

ますますテレビは高度化していくようだ。

(この先どうなってしまうんだろうか・・・)

 

いずれにしても、近い将来の子供たちがこのエッセイや前回の「白黒テレビの想い出」を

読んだらぶったまげてくれることを楽しみにすることにしよう。。。。

現在の値段の方が安い

Faxを送ることのできるタイプもあった(テレfax)

(テレビ開局以来の高視聴率番組:ビデオリリサーチ社調査) 

順位

番組名

放送日

局名

視聴率

1

第14回 NHK紅白歌合戦

63.12.31

NHK

81.4%

2

98年サッカーW杯「日本VSアルゼンチン」

98.6.14

NHK

67.3%

3

98年サッカーW杯「日本VSクロアチア」

98.6.20

NHK

66.9%

4

東京五輪女子バレー「日本VSソ連」

63.10.23

NHK

66.8%

5

プロレス「デストロイヤーVS力道山」

63.5.24

日本

64.0%

6

ボクシング「ファイティング原田VSエデル・ジョフレ」

66.5.31

フジ

63.7%

7

おしん

83.11.21

NHK

62.9%

8

ボクシング「ファイティング原田VSアラン・ラドキン」

65.11.30

フジ

60.4%

9

報道特番「ついに帰らなかった吉展ちゃん」

65.7.5

NHK

59.0%

10

ミュンヘン五輪ハイライト

72.9.8

NHK

58.7%

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(原稿:2001.2.3)