所在地 東京都墨田区横網1−4−1
開館時間 平成14年9月21日(土)〜12月8日(日) 
休館日:毎週月曜日(ただし、9/23・10/14・11/4は開館し、翌日は休館)
備考 東京都江戸東京博物館


開催が終わったイベントを掲載するというのもおマヌケではあるが、
とても素晴らしい企画展だったので、ご紹介させていただく。

江戸東京博物館で開催された企画展「本田宗一郎と井深大」を観てきた。
先行きの見えない不況、国際競争力の低下、将来への不安…。閉塞感に陥り、
自信も元気も失いかけている現代日本。しかし、かつての空襲で焦土と化し、敗戦の
混乱で日々の食糧にもこと欠く日本にあって、夢を抱き、自らの技術を信じ、創意工夫
と果敢なチャレンジ精神で、小さな町工場から世界へと飛躍した2人の起業家
の展示である。HONDA と SONY という戦後すぐにベンチャーとして立ちあがり、
世界的企業になった両社の2人の
偉大の創業者の足跡を、その製品とともに展示していた。

実物とともに展示されていた宣伝用のパンフレットやメッセージで、早い時期から、
両社が世界を目指して、声を高々とあげながら、いろいろなチャレンジをして
いたことがよくわかる。
失敗や倒産の危機を乗り越え、ふたりは「HONDA」と
「SONY」をそれぞれ世界企業へと発展させていった。
また、常に世界を意識することで、日本でも屈指の大会社になったのだと思われる。
そんなふたりはまた、お互いを尊敬しあう
無二の親友同士でもあった。
ものづくりに対するこだわり、
大きな夢、世界的な視野、そして旺盛な自主独立の精神
本展では、二人の生い立ちから成功までを3つのキーワードから構成し、ホンダS500や
日本初のトランジスタラジオTR-55など、かつての名車や名AV機器を中心に
その足跡をたどり紹介していく。

この企画展を通じて知ったことで意外だったのは、二人が戦後すぐ、会社を作って
挑戦をはじめたのは
40歳前後だったということだ。もっと若いころに作ったのかと
思っていたがこのことで
「よっしゃ〜俺たちもまだまだできるわい」と感じたおじさんたちは
多いと思う。そして本田宗一郎はホンダ設立前から、若くして芸者遊びで有名だったり、
井深大も、盛田家から借金してまで自動車を買って乗っていたらしい。そんな二人に
親近感を覚えた。今回はあまり脚光があてられていなかったが、本田宗一郎を支えた
参謀、
藤沢武夫の生き方が、はすぴー的には好きだったりする。ところで、親友同士
だったという本田、井深の二人の唯一のコラボレーションが携帯テレビと携帯発電機
だったというのは初めて当企画展で知ることができた。



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トランジスタラジオTR-63
「ポケッタブル」がキャッチフレーズの、当時世界最小のラジオ。東通工にとって記念すべき輸出第一号機。
テープレコーダーH型 
一般消費者向けテープレコーダーの第一号機。「H」は「HOME」の略。工業デザインを初めて導入した製品でトランク型のケースに収められている。
カーチス号
アート商会時代の宗一郎(当時18歳)が、榊原郁三、真一氏兄弟の助手として製作。アメリカの複葉機カーチス・ジェニーのV8エンジンを搭載したスペシャルレーサー。宗一郎もメカとして同乗し優勝している。
ホンダ スーパーカブC100
宗一郎が心血を注いで開発した最高傑作。高出力・低燃費の4サイクルOHVエンジン、使いやすい自動遠心クラッチ、足を高く上げなくても乗れるステップスルー、ポリエチレン製のレッグシールドなど、どれをとっても革新的だった。
ホンダ S500
ホンダ初の市販乗用車。DOHC4キャブレターエンジン、チェーン駆動という二輪レーサーで鍛えた技術が生かされている。その技術とともに、宗一郎が徹底的にこだわった優雅なスタイルも人気だった。
ホンダ モンキーCZ100
鈴鹿や多摩の“テック”というレジャーランドで好評だったモンキーZ100を市販用にしたもの。エンジンはスーパーカブC100から、タンクとシートはスポーツカブC111から流用された。愛らしいスタイルで人気を集め、多くはアメリカに輸出された。
ホンダ カブ F型
”白いタンクに赤いエンジン”で親しまれた2サイクルの自転車用補助エンジン。藤澤のアイデアで、全国の自転車店を新規販売網とし、段ボール詰め発送を採用するなどの斬新な拡販戦略が効を奏し、大ヒット商品となった。