(昭和40年代編 前半)
1966年(昭和41) うちのテレビにゃ色がない(エノケン 三洋電機) ♪うちのテレビにゃ色がない 隣のテレビにゃ色がある あらまきれいとよく見たら サンヨー・カラーテレビ このCMは「ジャングル大帝」の時にやっていたと思う。当時、この番組はカラー でお送りしていますとテレビの隅っこにあった。 ちなみにエノケンがCMに顔を出すのはこの作品だけで、初めてのCM出演が 色つきとはうれしいと喜んだそうだ。 桃屋花らっきょう(クレオパトラ編) 絶世の美女といわれるクレオパトラも、のり平アニメでは大きな鼻とメガネスタイル になってしまう。「毒蛇はどこじゃ」のダジャレで、呼びつけられた2匹のヘビは 「桃屋の花らっきょう」青ラベルと白ラベルを持ってくる。 桃屋の公式HPで懐かしい歴代のCMを見ることができます。 ![]() ![]() どこまでもいこう(ブリジストン) あのトッポ・ジージョの声優、山崎まさよしこのCMソングを歌っている。 水虫出たぞ イッヒッヒ(明治ポリック) ♪水虫出たぞ 水虫出たぞ かゆいぞ イッヒッヒッ このCMは、いずみたくの作曲。 ヤリを持っていた憎めない水虫君が印象的だ。 チョッコレート(明治製菓) チョッコレート、チョッコレート、チョコレートは明治 ストレート直球ど真ん中なCMだ。 余談だが、東京6大学野球の応援の際に明治大学をヤジる時にこれを使った。 「ちょっとこーれ(クルクルパ〜をやる)、ちょっとこーれ、足りないのは明治」 太陽に愛されよう (資生堂) 資生堂の前田美波里ポスターに人気 このポスターはよく店頭から盗まれた このあたりから"知る広告"から"楽しむ広告"へと受け手の意識も変ってきたようだ ![]() ![]() |
1967年(昭和42) イエイエ(レナウン) 数少ないカラーCMの中でも特にフィーリング時代の先駆けを示した 登場する女性はマネキンのように動き、ファッションが生活に大きく 幅をきかせつつある時代を象徴 ![]() ![]() おかあさ〜ん(ハナマルキ) 「おふくろ」と「ふるさと」に弱い日本人に直接訴えかけた もともと広告とは関係のない地味な業界であったが、このCMがヒット することで各社一斉にテレビで宣伝しはじめた。 ナボナはお菓子のホームラン王です(亀屋万年堂) ご存知、世界のホームラン王、王貞治のテレビCM。 亀屋万年堂は当時、巨人軍で一緒だった国松(夫人)の実家で、友情出演というやつだ。 その後、王貞治は現役を引退し、助監督となるのだが、「ナボナはお菓子の助監督です」 と言わなかったのが残念。「森の詩もよろしく」(←知っている人だけ笑ってください) 金鳥の夏、日本の夏(美空ひばり 金鳥) 京都の大文字焼きや花火をバックに美空ひばりがうちわを片手にこのセリフをいう。 このCMを見るたびに、「あ〜今年も蚊取り線香の季節が来たなぁ〜、俺も日本人 なんだよなぁ〜」と思う人はたくさんいると思う。 ![]() コークと呼ぼう(コカ・コーラ) コーラのことを英語では「コーク」と発音する。ちょっとキザなやつはコーラと 言わないで「コーク」と呼ぶようになったのは、この頃からだ。 |
1968年(昭和43) わんぱくでもいい たくましく育って欲しい(丸大ハム) ワイルドな感じで荒っぽいが愛情あふれる父親が、キャンプで焚き火をしながら ナイフに刺した厚切りのハムを子供に手渡すシーン。いつもスライスハムしか 食べたことのない私には大きなハムを丸かじりしてみたいと思ったもんだ。 実際に自分にも子供ができてつくづく、こう思う。 見える見える(ゼブラボールペン) 今では当たり前、透明のボールペンなのでインクの減り具合がわかる。 当時、これは画期的なことで「見える見える」と訴求した。 ちょうどこの頃「スカートめくり」が流行っていたので、僕らはスカートをめくっては 「見える見える」と喜んだもんだ。 大きいことはいいことだ(森永製菓) 森永エールチョコレートのCM。ヒゲの指揮者、山本直純が気球に乗ってタクトを 振る背景に富士山、裾野には1000人を越す人間がタクトに合わせて合唱。 ![]() ![]() お正月を写そう!(フジカラー) 現在でも放映しているフジカラーの「お正月を写そう」シリーズは、この年から始まった。 あーらよっ!出前一丁(日清食品、出前一丁) この年に「出前坊や」のキャラクターが登場した。 「出前坊や」を見ると「ちびっこのど自慢」を思い出すのは、私だけではないだろう。 「ちびっこのど自慢」から野口五郎、天童よしみなどがデビューしている。 ![]() ![]() パンシロンでパンパンパン 天地聡子が歌う「パンシロンの唄」 CMでーのひとつにこんなのがあった。 お父さん役の渥美清が女の子を肩車にして、パンシロンでパンパンパン、パンシロンで パンパンパンと歌い続ける。すると女の子が「パパ、この歌 いつまで続くの?」と聞く。 お父さんは「いつまで続くのかな・・・」と笑う。 そしてその女の子とは「沢田聖子」の子ども時代というから意外。 |
1969年(昭和44) オー、モーレツ(丸善石油 コスモ石油の前身) あまりにも有名な「丸善ガソリン100ダッシュ」のテレビCM。 車がビューンと走り抜けると、風圧で小川ローザのスカートがまくれ、 白いパンティがチラリ。ローザは口元に手をやり「Oh!モーレツ!」という。 パンチラ・ポスターがよく盗まれたそうだ。(その気持ちはわかる) 高度経済成長にひた走るビジネス社会の「モーレツ社員」という言葉もこのあたりから。 その後、2001年に菊川怜がこのCMをカバーし、「超!モーレツ!」というのだが、 パンチラシーンはなく、中年オヤジはがっかりした。 ![]() ![]() はっぱふみふみ(パイロット万年筆) みじかびの きゃぷりてとれば かぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ 大橋巨泉の万年筆のCM。わっかるかなぁ〜 ちなみに巨泉の「やったぜ、ベイビー」もこの年の流行語になった ![]() ![]() 丸井は駅のそば 丸井といえば、駅の近く・・・現在でも放映しているこのCMが登場したのは この年。もう35年もやっていることになる。 かつてこんなことを言っていた友人がいた。 「俺んちは丸井のそば、丸井は駅のそば、ゆえに俺んちは駅のそば」 三段論法としては、正しいが実際には駅から10分もあった・・・ クリープを入れないコーヒーなんて このCMもまたいまだに継続しているシリーズだ。当時、流行語大賞があれば 入選していただろう。"ツボを外すこと"を「クリープを入れないコーヒー」状態 と私は定義している。 クリープはじめて物語 その他、この年には 「ペプシがなければはじまらない」「純生は生きている」「愛のスカイライン」 などのCMが印象的だった。 |
1970年(昭和45) 男は黙ってサッポロビール(三船敏郎) 男はつべこべ言わずに結論をだす・・・それがサッポビール ずばり!シンプルでいいCMだ。 ところでその真相は定かではないが、こんな話が伝えられている。 就職活動でサッポロビール社を訪問し、面接にのぞんだA君。 面接では質問に対して、いっさい返事をしない。面接官はもう帰れと憤慨する。 A君は帰り際、「男は黙ってサッポロビール」と一言、残して立ち去る。 当時、難関だったサッポロビール社にA君は合格したそうだ。 ![]() ![]() ウーン、マンダム(チャールズ・ブロンソン) チャールズ・ブロンソンが男くささをアピールした化粧品のCM。 CMのBGMで使用したジェリー・ウォレスの歌う「男の世界」も大ヒット。 これを機にメーカーの「丹頂」は社名をマンダムに変更した。 当時、こんな遊びも流行った。 A君:あれ、君のあごのところに何かついているよ B君:えっ、本当?(あごを手でなでる仕草をすると・・・) A君:「ウーン、マンダム」 隣の車が小さく見えます(日産) サニー1200は馬力の強さで若者に人気を得た。 ここでいう隣の車というのは、同クラスのカローラであることは言うまでもない。 日本のCMでライバル社に対抗するのは珍しい。 振り向かないで××の人(ライオン) ハニー・ナイツが歌うエメロンクリームリンスのCMソング「ふりむかないで」 ♪泣いているのか 笑っているのか うしろ姿の すてきなあなた ついてゆきたい あなたのあとを ふりむかないで 東京の人 ご当地ソング風のCMソングが人気を呼び、最後に振り返る時に本当に美人か どうかが楽しみなCMだった。 エメロンのCMでは、もうひとつ、銭湯を舞台に「こんな格好でぇ〜失礼します」 というのがあった。 ![]() ![]() ハヤシもあるでよ(オリエンタルカレー) 南利明が名古屋弁でいうこのCMはなぜか面白かった。こちらの公式サイトで 当時のCFをみることができるのだが、これは「スナックカレー」の宣伝で ハラシライスでなかったことに注目できる。 ちなみにYahooで「ハヤシもあるでよ」を検索してみたら1340件もヒットした。 いまでも知名度の高いCMだと言えよう。南利明さんが生きていたらウハウハ 喜んでくれただろう(合掌) ![]() 女房よろこぶ(ハウス・ジャワカレー) 同じ年にジャワカレーでは伊丹十三と宮本信子が出演のCMで「女房よろこぶ」 というのがあった。こちらもまたシンプルだが記憶に残っている。 それにつけてもおやつはカール(明治製菓) もうこの際、理由は要らない。とりかくおやつは「カール」なのだ。 この脱広告的な広告は妙に印象的だ。 当時、カールは50円であのカレーやチーズ味のサクサク感は画期的だった。 こちらの公式サイトで「カールの歴史」が説明されています。 ![]() モーレツからビューティフルへ(富士ゼロックス) 「モーレツ」は60年代を象徴した言葉で「ニッポンのために」、「会社のために」 ひいては「家族のために」と、ひたすら働き、"国民総生産"を押し上げた汗くさい精神 と言えよう。これに対して「ビューティフル」はそういった価値観に懐疑を投げかけ た70年代の人間の生きがい、モラル、問題意識を表現している。 その他、この年に目立ったCMとしては、、、 国鉄の「ディスカバージャパン」 テレビCMのキャンペーガールには秋川リサを登用 (若い人に国鉄っていってもわからんか?現在のJRのことでーす) かかったかナ(コンタック60) 風邪薬、コンタック60のCM。これまた単純明快さがいい。 |
← 懐かしのテレビCM(昭和30年代編)
次回はテレビCMの昭和40年代 後半編を予定。
東芝EMIより「懐かしのCMソング大全」が発売されております。
懐かしのCMに関して以下のサイトも参考になります
「テレビCM史研究拠点」 「筆無精のHP」
「スポンサーを覚えているか」もよろしくっす
(原稿:2004.5.16)