ただ電話
もう既に時効になっているだろうから、はすぴーの犯罪を告白。
はすぴーが小学5年から中学1年生の頃だから、昭和40年代の
半ばに
「公衆電話がただで使える技」
があった。大人になって
同世代の人に聞いてみたが、知る人はなく、たぶん東京の下町の
ごく一部の地域限定で流行っていたのかも知れないし、ひよっと
して私の友人だけが知っていた技なのかもしれない。。。
その頃の公衆電話ボックスにある電話は
「5円玉」と「10円玉」
「50円玉」
が使えた。5円単位だったのか、5円玉を利用するためだったのかは
わからないが、要するに5円玉と10円玉を投入する口が別れていた。
【ただ電話の操作方法】
@ まず5円玉を入れる
A 電話が切れないギリギリまでレバーを下げる
B 10円玉を入れる
C 最初に入れた5円と10円が返却され、電話がつながる
D かけたい番号をダイヤルする
・・・とまぁ、こんな具合なのだが、Aのレバーの下げ方が案外と
難しい。下げすぎれば5円玉は戻ってきてしまうし、下げ方が足りな
いと10円玉を入れた時に戻ってこないので、一度電話を切って、
また最初からトライしなければならない。
これも経験学習効果が活きて、10回くらい練習すると、その勘所が
わかってくる。ゆっくりとレバーを下げていくと
「チッ」
という
微妙な音がするので、この
タイミングまで下げるのがコツ
だった。
しかしはすぴーの家の周辺の公衆電話ボックスには、大抵そのギリギ
リの箇所にキズというか線がつけられていたなぁ。
つまり「これがボーダーラインです」というわけだ。
つながった電話で何をしたか?現在のようにダイヤルQ2など
ない時代だったから、結局はイタズラ電話をするか用も無いのに
天気予報や時報を聞くか、クラスの女の子と世間話をするか
「リカちゃん」や「ケロちゃん」
に電話をするのが、関の山。
そんなただ電話ができる電話ボックスも5円玉が不要となったのか
ただ電話のうわさをNTT
(当時は電電公社といった)
が嗅ぎ付けたのかしらないが、急に減り
はじめ、よくはすぴーと友人T君は自転車でただ電話ボックスを
求め、さまよい続けたものだった。
そして最後のただ電話は竹の塚団地内
(足立区)
のあったことを今でも記憶している。
旧式の電話ボックスはクリ ーム色のボディと赤い屋根から
“丹頂形”
と
呼ばれるものだったらしい。
上の方だけガラス窓があって、下は大きな丸い取っ手のような穴が開いて
いるようなものだった。
だから、ボツクスは中は外から見えないで、立ちしょんべんをする酔っ払い
なんかもいたらしく、
「臭かった」
記憶がある。
(笑)
新横浜のラーメン博物館で久しぶりに5円玉の使える公衆電話に巡り合った
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えみさん
という方から「ただ電話」について別の方法を教えていただき
ましたので、ご紹介しましょう
。
黄色い公衆電話(プッシュ式)の受話器の話す方のカバーは回すとビンの
蓋のように簡単に外れるます。すると中にジョウロの口のようにぽつぽつと
穴のあいた丸い金属のカバーがついています。
お金の投入口も金属で出来ていて、その投入口のところに受話器を
(金属カバーの部分)ひたすらこすりつけるんです。
10回ほどこすると何故か『プーーーーッ』と、使用可能な状態になる。。。
あとは好きなところに電話をかける。
私が学生の頃にちょうどテレクラが登場した頃で、放課後学校の黄色の公衆電話
からクラブのみんなでテレクラにイタ電(偽人物になりきって)してました…。
だから私の実家の校区内の黄色の公衆電話は通話口が接着剤で固定されてました。(笑)
それからしばらくして緑色の公衆電話にかわってしまってたんです。
きっとみんながタダで掛けまくったせいだと、噂になりました。
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上のえみさんとは別の
ぇみ☆ さん
という方からの情報です。
緑の電話
でただ電話かける方法ってありますよね??
確か、救急車とかを呼ぶ赤いボタンを半分くらい押す。
(プーって音が鳴るまで)
その後、電話番号を押せば普通に話せた記憶があります。。
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